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2022.06.13
座禅 ~無目的な時間~
こんにちは。技術部第1グループの松末です。
ゴールデンウィーク辺りからだったと思いますが、座禅を始めてみました。
毎日、「朝夕の2回、10分」程度行うようにしています。(やるのを忘れてしまう日はありますが)
今回のテーマとも関係ありますが、「何のために座禅をやるのか?」と聞かれたら、
座禅を始めるにあたっては、「特に明確な理由はありませんでした」と答えることになります。
あることで成果がでない日々が続き、思考が負のスパイラルに入りかけたときに、「座禅でもやってみるか」と思ったのが、きっかけだったような気がします。
(「あること」については、本題からずれるため割愛します。機会がありましたら紹介したいと思います。)
まずは、座禅のやり方などを調べてみたりすることになるのですが、
想像していた通り、ただ、じっと座っているだけですので、特別な道具も必要なく、特別な環境を整える必要もありませんでした。
そこで、自宅でYouTube動画を見ながら始めてみることにしました。
( 参考にしたYouTube チャンネル:禅活ちゃんねる - YouTube )
座禅に目的はない?
座禅について調べていると、「座禅に目的はない」という表現がよくでてきます。
座禅には、ゴールはないようです。
目的(ゴール)があると、それを達成(到達)したときに、やめることになりますが、座禅は、やり続けることに意味があるようです。
目的がないのなら、何を目的としてやるのでしょうか。
あえて言うならば、
「何のためにやるのかを考えずに、座禅をやり続けることが目的である。」
という感じでしょうか。
(なんだか、禅問答みたいになってきましたね。)
また、座禅の効果は人それぞれであり、一言で表現するのは難しそうです。
「効果もはっきりしない、目的もないことを何でやる必要があるのか。」
そこが、座禅を始める上での最初のハードルであり、最大のハードルなのかもしれません。
ということで、私が座禅を始めてみて、感じたことなどを紹介させていただきます。
※あくまでも個人的な感想であり、効果を保証するものではありません。また、抽象的な表現が多く、わかりにくくなっているかもしれませんが、ご了承ください。
座禅をやってみて感じたこと
隙間なくタスクをこなして、時間に追われる生活をしていると、
うまく成果がでないタスクにぶつかったときに、私はよく、以下のような状況に陥ることがあります。
- 自分を責め続けて、そのことから頭がなかなか切り替わらない。
- 別のタスクをやる時間になっても、なかなか次のタスクに移れない。
- 他のタスクにまで支障をきたしてしまう。
そんなときに、座禅の効果を感じることがあります。
当然ではありますが、座禅をしている間は、何も生産することはできません。じっと座っているだけです。
頭に浮かんできたことに対しても、すぐに行動に移すことはできません。
そのため、とりあえずは、「そんなこともありますよね。」という感じで、全てを受け入れていくことになります。
そうしているうちに、頭の中が整理できて、何をすべきかがなんとなく見えてきます。
(感覚的なものですので個人差はあるのかもしれませんが)
問題を一気に解決できるような、いいアイデアがひらめくという大袈裟なものではありません。
何を優先するべきかを思い出すことができるという程度のものです。
座禅には、時間に追われる生活の中で、落ち着きを取り戻すための強制リセットのような効果があるということのようです。
それから、もう一つ感じたことですが、座禅に似たような感覚が、以前の生活の中にあったような気がします。
- 通勤電車で窓の外を眺めながら考え事をする
- 自家用車に一人で乗り、会話することもなく運転に集中する
- 喫煙所に行って物思いにふけながら一服する
現在では、在宅勤務により減っている時間、もしくは、効率を上げるために、無駄な時間と考えられている時間ではないかと思います。
無駄だと思っていた時間も、実は、必要な時間だったのではないかと思ったりする今日この頃です。