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2025.03.31

ラジオと私と

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こんにちは、経営管理部の本多です。

2025年は日本のラジオ放送が始まってから丸100年だそうです。
なんでも1925(大正14)年3月22日に最初のラジオ放送が行われたとか。

そんなラジオにとっての節目の年に、私とラジオの関わり方について振り返ってみたいと思います。

インターネットが普及する前は、代表的なマスメディアといえばテレビ、新聞、ラジオの時代だったかとおもいます。ひと昔前、ラジオは今よりもっと生活に密着していたと感じます。

中学生頃まで

私の実家では、朝の支度をする間はテレビではなく、常にラジオがついていました。
天気予報やニュースなどはラジオを通じて情報を得ていたのを思い出します。

また、週末家族で車に乗って買い物に出かける時も、当時の車内はカセットデッキかラジオが主流の時代でしたが、基本はラジオが流れていました。たまたま流れてきた「LADY NAVIGATION」に衝撃を受けて、そこからB'zが好きになりました。

高校生頃

自室で勉強する時など、よくラジオをBGM代わりに流していまして、夜眠りにつくときもラジオをつけたまま寝るのが習慣になっていました。
赤坂泰彦のミリオンナイツや、北野順一の北野CLUBからジェットストリームを聴きながら寝るといった具合です。

この頃、たまたま流れてきた「Bed of Roses」に衝撃を受けて、そこからBON JOVIが好きになりました。

そして忘れもしない1995年1月17日の未明、なぜか5時頃に目が覚めて、そのまま二度寝できずぼんやりラジオを聴いていると、阪神淡路大震災の第一報が流れてきました。
緊迫した雰囲気が伝わり、これは大変なことが起きたと緊張したことを今でも覚えています。

大学時代

高校時代よりも自由な生活が遅れるようになったこの頃、初めて深夜ラジオの存在に気が付きました。
オールナイトニッポンを深夜3時まで聴いたときは背徳感とともに大人の階段を一歩登った感覚を味わったものです。

ラジオを通じて新しい音楽に出会うことも多く、バイト代である程度CDを自由に買うこともできるようになっていたため、この頃はヘビーローテーションやパワープレイの音楽は欠かさずチェックしていました。各局のタイムテーブルを集めたりもしてましたね。

社会人になって

大学を卒業して就職した会社は卸売業で九州各県を営業車で回っていました。
平均すると1日あたり4〜5時間は運転していたのですが、そもそも営業車のプロボックスにはラジオしか付いていなかったこともあり、退屈な運転を楽しくしてくれるラジオは大事なお供でした。

また、都市部はFMが聴けるものの、山間部などを移動するときにはFMは入りにくいので、AM放送には非常に助けられました。

テレフォン人生相談を聴くのが毎日の楽しみでした。

現在

サンビットに入社後、しばらくはラジオから離れていた時期もありましたが、radikoアプリで深夜ラジオもタイムフリーでいつでも聴けるようになってからは、暇な時間にラジオを聴く機会が増えました。

コロナ禍に入って在宅勤務が増え、また昔のようにBGM代わりにラジオを流したりもしています。

改めて振り返ってみると、私のこれまでの人生には、ラジオが側にあったことを再認識できました。

最後に、ラジオを聴くことのメリットについてネットの記事がありましたので紹介したいと思います。

ラジオを聴き続けると脳にどのような影響を与えるのかを検証したところ、脳が鍛えられ脳が成長することが実証されたそうです。

また、聴く力を鍛えることで、脳の老化防止にも繋がるとのことです。
今後も生活の中にラジオを取り入れていきたいと思っています。

今回、昔の福岡のラジオ番組についてインターネットで情報を調べようとしてもなかなかヒットせず、思い出すのに苦労しましたが、そんな中、シティ情報福岡のバックナンバーをWebで閲覧することができ、当時のラジオ欄が載っていたため大変助かりました。

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